2016.07.09 ( Sat )

騙されないで!偏差値はフィクションである


偏差値

高校までは「志望校選びの揺らぎない指針」として誰しもが信じて疑わなかった「偏差値」の存在。

その頃にはあたかも「定義」のように高校の塾の先生に教えられた「偏差値」の存在を、今回は大学生になったみなさんに大学生という今までと違う観点から考えてみましょう。

 

不合理な偏差値選別社会

 

大学が偏差値によってランク付けされるようになってから多くの時が流れました。

いまでは殆ど全ての人が直接的・間接的問わずなんらかの形で「偏差値の洗礼」を受けた経験があるといっても問題ないでしょう。

中学入試でも、高校入試でも、大学入試でも学生は偏差値という学力を指し示す数値でしか評価をされないのです。

 

グーグル社が、「偏差値や卒業大学によって社会人としての能力に差はない」という調査結果を先日公表して大きな話題となったのですが、依然として日本は学歴社会なのです。

いかに有能であっても、一定の大学を出ていなければ会社説明会の予約すら、空きがあっても「満席」の表示が出るという不合理な社会という側面があります。

 

このような社会において、偏差値の高い大学に入るということは、大学卒業後の就職とその後の社会生活の有利不利に直結するのです。

つまり、現代の子供は早ければ小学校の時から、この「統計上は不合理とわかっている偏差値による選別の洗礼」を、その後の大学入学まで常に受け続けるのです。

 

しかし、偏差値のみで評価を受けるのは何も学生だけではありません。

一般的には偏差値や学力のみで学生を選別していると思われている大学側でさえも、実は偏差値によって選別を受けているのです。

 

大学側が自校の偏差値をあげたい理由

 

大学の評価基準は社会貢献度やその卒業生の実績、歴史など多岐にわたります。

もちろん、どの大学のパンフレットや学校紹介にもその大学の学生の優秀さや入学難易度を露骨に表現している大学はありません。

けれども、高校生、受験生からの評価基準となるものを見てみると、それはその大学の難易度、偏差値という指標にほぼ一元化されてしまいます。

 

その理由は、受験というものは、希望の大学へ入るという表面的な皮をはがせば、本質は「いかに自分の学力、偏差値を高め、それを対外的に具現化する大学へ入るか」というゲームだからなのです。

 

そこでは、本来は評価の対象となる卒業生の社会での活躍だとか、大学の歴史などは考慮の余地はありません。

いかに歴史的に意義があり、また学びたい学問に特化した実績を持っていようとも、その事実は学校選択の一つの評価基準にはなるかもしれませんが、偏差値という評価の前ではほとんど意味をなさないというのが現状なのです。

 

大学が「学問の場」から「就職予備校」になったといわれて久しいですが、そのような状況下では、「高い偏差値」という基準で自分の能力を対外的に具現化してくれる学校をけって、あえて学びたい学問に特化した学校を選択する行為は不合理と思われるに違いないのです。

 

大学が生き残るためには

勉強

 

また、大学は学問の場である一方で、会社という組織体でもあります。収益を上げなければ学校の職員を雇うことはできないし、その設備にも資金が必要です。

そして、その収入源の多くは学生からの学費、それに加えての受験生からの受験料に依存しています。

 

つまり、大学は経営のためには、より多くの受験生から人気を集めるよう努力しなければならないのです。

ここで大学が、自分たちの外面、特に偏差値を上げる必要が出てくるのです。

 

また経営的な面以外にも、その大学の学生の質の維持のためにも偏差値の向上は必須になります。

上記のとおり、受験がいかに偏差値の高い大学へ入るかのゲームととらえているのであれば、賢い学生は塾算出の偏差値の高い大学に集中することは、いたって自然な流れだといえるでしょう。

 

つまり、大学側が、世間からの評価基準である社会貢献や卒業生の活躍などの数値を維持したり、高めたりするには、何としても偏差値の維持、向上が重要になるのです。

つまり、大学にとって自校の偏差値を高めることは、世間一般からの評価と受験生からの評価の両面にこたえるために必須な条件なのです。

 

偏差値にはトリックがある

 

しかし、そもそも偏差値とは大学とは無関係の塾などが独自に算出するのが現状であり、そこにいかに大学が介入するのでしょうか。

その具体的な手法を、実際の大学名を挙げながらパターンとして説明していきましょう。

 

【1.慶應的科目絞り】

 

私学の最難関と言ったら早稲田大学と慶應義塾大学と言われることが多いですが、近年の傾向では慶應有利といった傾向が顕著に示されます。

現に、河合塾発表の「ダブル合格した受験生がどちらの大学へ進学したか」という調査では約7:3の割合で慶應が有利という結果が出ています。

 

実際、偏差値で見てみると、同一学部では慶應の方が優位の場合が多いのが誰の目にも明らかです。

この慶應優位の風潮は、今では完全に定着したのですが、そもそもの発端は巧みな慶應の偏差値操作にあると考えることもできるかもしれません。

 

ここで一般的にもっとも使われている河合塾発表の偏差値を参照してみましょう。

2016年度版もランキングによると、経済・商学系分野では偏差値70のランクに慶應経済B方式が入り、67.5のランクに慶・商B方式、早稲田政治経済がランクイン、続く65ランクに慶・経済Aと早稲田商がランクインしています。

 

同一系統の学部では慶應が常にリードしているのですが、注目すべきはランキングの横にある科目数なのです。

慶應2に対しての早稲田3、これは何を意味するかというと、受験科目の数、試験科目による国語の有無を表わしています。

 

慶應義塾大学では、国語の試験の代わりに小論文試験を課すため、模試などでの国語の試験の結果は大学の偏差値を算出するにあたっては算入されないのです。

 

また河合塾が発表する早慶合格者の国語英語歴史の偏差値の平均のデータによれば、両校の合格者の英語と歴史の偏差値はほぼ70なのに対し、国語は約66です。

 

つまり、科目数を絞るに加えて、平均の偏差値の低い国語を入試から抜くことによって、合格者の偏差値を算出する際により高く算出されるという仕組みになっているのです。

 

この手法はほかにも多くの大学でも採用されており、例えば青山学院大学の英米文学Bの場合では、試験に英語しか課さないため算出偏差値が早慶を超える67.5となっています。

 

別のケースでは、国際基督教大学が受験生の間で人気なのも、この受験科目絞り込みによる「偏差値の意識的な跳ね上げ効果」にあるのではないかと考えることもできそうです。

 

【2.関西学院大学や立命館にみる一般受験生絞り込み】

 

科目数の絞り込みによる偏差値のつり上げのほかに、受験による合格者の数を減らすことによって偏差値をつり上げる方法もよく使われます。

近年AO入試や指定校推薦などという入試形式が増えているのも、実はこの手法の一例として見てとれます。

 

そもそも少子化で受験生の数が減っているのですから、10年前と同じ数の新入生を迎え入れていれば当然優秀層は上位大学により密集し、相対的にどの大学でも偏差値は落ちるのは当然でしょう。

 

もちろんすべての大学が一律で落ちていけば何の問題もないのだが、ある大学がつり上げを行うと、その周辺の大学が同じパイを取り合わなければならなくなり、自然とすべての大学が程度の差はあれ偏差値の維持のために対策を打たなければいけなくなってしまいます。

 

実際に事件になった例としては、2013年に、大阪産業大学が自校の付属校の高校生を大量に受験させることによって、実際よりも高い競争率を演出したことが偏差値操作として報道されたのも記憶に新しいでしょう。

 

同じように、関西学院大学についても、実際の入学者数と入試による合格者数をみると、実は一般入試率は6割もないというのが現状です。

 

私学で最も高い偏差値を誇る慶應の法学部。しかし入学者数の割合をみると、それまで気付けなかった一つの実態が見えてくるのです。

一般入試460人(36.5%)センター入試100人(8%)AO入試30人(2.4%)指定校160人(12.7%)付属420人(33.3%)と一般入試での入学者はたったの3割に過ぎないのです。

(全体が100%とならないのは、その他の入学形態が7.1%あるためです。)

 

このように、私立大学は自らが抱える付属校などの枠を駆使し、可能な限り一般入試の定員を削減することで競争率を高め、偏差値をつり上げている場合もあるのです。

 

【3.入試方法の分割】

 

この手法は、上記の定員削減の手法の一つというほうが正しいかもしれません。偏差値のランキングを見れば例えば慶應の商学部においてはA・B方式があるのを受験生ならきっと知っているでしょう。

 

一見何も意味のないように見える分割なのですが、実はこうすることにより、本来の商学部においての定員を二方式で分割しそれぞれで受験生を募集することができるのです。

そうすることで、本来1方式で募集するよりも両方式を受験する受験生や、得意な方式なら受けようと思う受験生などをより多く囲えるため、上記のように競争率をつり上げることができるのです。

調べてみると分かりますが、実はこの手法もかなりの大学で行われている常套手段なのです。

 

例えば中央法学部では、法律統一、国際企業一般、国際企業統一、政治一般、政治統一、法律一般3、国際企業統一3、政治統一3と8つの入試方式を設け、3年で7以上下がった偏差値を何とか維持しているのが現状なのかもしれません。

 

理想の学びの舎とは

 

実は、上記に挙げたように「私立大学の偏差値操作」といわれるような現象は身の回りに非常にたくさん存在するのです。

 

本来は、その大学に入るために懸命に勉強をしてきた学生を正当に評価するというのが大学の「学びの舎」としての役割なのではないでしょうか。

 

それにもかかわらず、大学自らが、自校のブランド維持や受験料稼ぎのために、入試の形式を経ないものを大量に優先してまで偏差値をつり上げるなどということは、本来受験生に対する冒とくといっても過言ではないのかもしれません。

 

しかし、私立大学とは悲しくも「生き残りをかけた経営」を同時に行わなければならない「企業体」なのです。

資金を稼ぎ、ブランドを維持するためにはまさに、「肉を切って骨を断つ」といった戦略を取らざるを得ないこともあるのでしょう。

 

しかし、このような戦略は「獅子身中の虫を取り込む」といった諸刃の剣でもあります。

そのような愚策は自らの身を蝕むガンとなって、やがてその看板をむしばむ時が来るのかもしれません。

 

大学生の仕事は世の中に疑問を持つこと

 

このように、一見当たり前に見えるものを「与えられたままに受容する」のが高校生までの勉強の中身だとすれば、大学の勉強では「当たり前と思われるものの本質を探る」ことが重要になります。

 

社会人になるとこのような「自由に物事を探求する時間はとれなくなる」とよく言われます。

「探求」の対象はどんなものでも構いません。数学・科学・歴史といった学問と呼ばれるものから、身の回りのファッションや髪形、遊びなどの流行、場合によっては友達関係なども「探求」の対象になりうるでしょう。

 

今回のように、その対象が「偏差値」という一見当たり前に与えられた「定義」のようなものであっても、それを盲信することなくその意味を考えてみることで、何か新しい発見が生まれることがあるのです。

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